夢と余生と現実と

突然だが、今日ふと「これからは余生を送るんだ」と思った瞬間があった。

自分は昔から「夢見がち」な人間であった。

私にとって「夢」というと「あらまほしきもの」。ファンタジー、新しい出会い、この世のどこかに実現されているかもしれない可能性、理想、異世界、舞い込んだ幸運。

頑張って手に掴むものは「目的」で、そんな泥臭いものは「夢」とは違うものだと思っていた。それはフィクションの好みに特に反映されていて、悲惨な話は嫌いだったり、スポーツものに読んでるものが少ないとか、守備範囲が狭いのもそれが理由だと思う。

で、エントリーのタイトルの話なんだけど、最近つくづく人生の色々な場面で「夢」が通じなくなったのうと(世知辛い話)。

きっと他の人だと20代前半くらいで諦める「夢だけじゃ生きていけない」のを今頃実感してて、「あー、夢がなくなったら、もう余生だな」と思ってしまった。

「夢見がち」なのはフィクションの好みだと思ってたのになー(笑)

人生観そのものだったとはなー(笑)

あ、でもたぶん周囲はみんな気づいてるわ、愕然としてるのは私だけw

私はたぶん、これまで「降って湧いた幸運」が多い人生だったんだなと思う。人に言わせると、いわゆる苦労が少ないタイプ。

辛くなっても日常に夢を見出すのが好きだったし、そこから生まれた発想が仕事にうまく作用することが多かった。きっと、私は人より夢の中で生きてきたのだと思う。

今日、とあるお話を考えていて、自分は「現実的な話を描くのが苦手だ」と再確認した。

もともと「行動で道を切り開く」ドラマへの取っ付きが悪い。三国志みたいな、ルールすらも超えてやる!みたいなのはいいんだけど、「ルールの中で頑張る」のにあんまり夢が抱けない。「働きマン」は好きだけど、他のサラリーマンものには興味がない。理由は、「夢がないから」(笑)

ただ。

本当のところ、「現実」では、この二つは糾える縄のごとし、なんだよな。

どちらかだけでは成り立たない。夢を持って目的に向かわねばならん。

「夢」を見る歳じゃなくなっても(お、吉田秋生か!)、逆に青年期じゃないから、いきなり「夢なんてゴミだ!」とか捨てたりはしない(笑)

夢を持って目的を達成する。私のなりたかった大人っていうのはそういうことなんだ。

だから…

…少なくとも、自分が楽しい♫プロットの「夢」率は何割か「目的志向」に変えないと作劇にならない…と。現実厳しいな…ははは…。

ーーー

自分の社会人経験はバイオハザードみたいに、「唐突なアクシデントに対応して生き残る」みたいなのが多かった。

逆に偶然に助けられてるのも多いんだろうね。

そう考えると、「夢」のある職業をしている人ほど、意外と地道で堅実な生活をしているんだろう。などと考えた深夜であった。

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